作品が完全に乾燥した。すぐにでも焼成は可能だが、しばらくは造形を加えるつもりだ。
粘土は乾燥すると新しく付けても取れてしまうので、強制的にカービングのみの造形へと移行する。しかし、それは制作を厳しく抑制するというよりは、むしろ気休めをもたらしてくれる。粘土の造形は自由であるが故に、全てが自分の責任となる。その為、このような制約に心地良さを感じたりもする。
乾燥した粘土は脆く、ヤスリなどで簡単に削ることができる。そのため、作業的に手を加えてしまうと直ぐに思わぬ方向に表現が進んでしまうので、意識して眺める時間を増やすようにしている。
この作品は、マチエールに土の表情を用いている為、削りすぎて表層を整え過ぎるのは避けたい。しかし、私が表現したいものは、土の豊かな表情よりも人の存在である。まだ、形に手を加える余地を感じるので、もう少しカービングを行ってから焼成するつもりだ。
陶芸家や陶彫家の殆どが、焼成に神秘性を感じ、制作の精神的支柱としての位置付けをしている。しかし、私はそれに共感しつつも、焼成は粘土を耐久性のある素材に変容させる為の、ひとつの工程として捉えている。私がこの素材に最も求めるものは、素朴で気兼ねなく扱える性質であったり、焼成までの造形プロセスにあったりする。したがって、焼成後も臆することなく手を加えて作品を仕上げていくことになる。
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