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辻󠄀晉堂「坐像」/卒業制作の記憶



豊田市美術館を訪ねた際に、常設展示にて辻󠄀晉堂の作品「坐像/1952年作」が目に留まった。

初めて辻の作品を見たのは大学四年生の時だった。当時、卒業制作にて二体の向かい合った人物の彫刻に取り組んでいたが、制作は思うように進まず苦労していた。

今振り返ると、卒業制作にありがちな、気持ちが先走りして、実際の実力が即していない状況だった。彫刻家として人生を歩んでいく夢と、それを叶える為の現実面においての不安が入り混じって、落ち着かない気持ちで制作していた。

その際に、担当教員である山本先生から様々なアドバイスをいただいたが、当時の私には、それを受け入れる度量も、理解する力も乏しく、八方ふさがりの状況に陥っていった。

ある時、それを見兼ねた先生から、藝大の収蔵室に辻󠄀晉堂の作品「出家/1939年作」があるので見てきなさいとお声がけいただいた。辻は陶を素材にした抽象彫刻で有名だが、初期には具象的な作品を作っていて、その内容は勉強になると教えてくれた。

早速、同級生の友人を誘い、その作品を見に行った。それは木彫の二体の向かい合わせの人物像で、お坊さんの剃髪の儀式を写実的に表現したものであった。人物の片方は立ち、もう一方は座っていたが、近い距離で配置されているのにも関わらず、その間には”澱みのない空間”が存在し、その”境界”は重要な意味を帯びていた。二体が組み合わさることで成り立つ造形とはなにか、また彫刻の正面性についても考えさせられた。

私にとって、目の前に答えを示されたような状況だったが、それは直ぐに習得出来るような質の表現ではないと感じた。しかし、ある種の開き直りが生まれ、腰を据えて自分自身の表現に向き合えるようになった。

今回、豊田市美術館で見た「坐像」は、この「出家」 から13年後に制作された作品である。これは、辻の抽象表現になる手前に位置する作品であり、「出家」よりも抽象的な要素が加わった作品であるが故に、より辻の造形論が明示されている。

全体の構成は、下半身にボリュームを持たせる一方で、上半身や頭部は極端に小さく作られている。それにより、三角形のフォルムが形成され、強固な存在感を示している。

そして、そこから張り出すかのように個々のフォルムが存在しているが、その人体を把握した面の移り変わりは、流れるように美しい。

脚の折り曲げることによって現れる、ふくらはぎと太ももの境界は、螺旋状の面を通して、それぞれの形の性質を捉える表現となっている。

腕は、その豊かな脚の表現を引き立たせるかのようにシャープな流れをもち、上腕を少し長めにした構成は、人物のゆったりとした佇まいに繋がっていた。

想像を巡らせながら見ていると、この60センチ程度の彫刻に、とてつもなく奥深い仕掛けが秘められているように思えてきた。様々な表現に溢れる現代においては、地味で古臭くも見えるこの作品の中に、私が追い求める彫刻との深い繋がりを感じている。












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