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椿大神社/視覚と体感


三重県といえば伊勢神宮が有名だが、日本最古の神社の一つとされる鈴鹿市の椿大神社も地元ではよく知られた存在である。私は、樹齢数百年の杉が群生している、ここの深閑な雰囲気に惹かれて時折訪れる。


駐車場に車を停めて道に添って歩いて行くと、樹齢400年と伝えられる大きな樅の木が現れる。そのすぐ横の小道をさらに進むと高い木に覆われかけた鳥居が迎えてくれる。

ある建築家から、神社の鳥居の下を通り抜けると特別な気分になるのは、神聖な場所に入ったという意識だけではなく、建造物を"くぐる"という行為によって起こる体感にも影響されていると聞いた。確かに、さほど信心深くない私でもここに来ると新鮮な気持ちになる。外界と神社の境界線でもある鳥居には、人間の身体感覚を意識した"仕掛け"が秘められているのかもしれない。





境内に入ると杉の存在感に圧倒される。真っ直ぐに伸びた幹は高く伸び、そして高い位置で細かく枝分かれしている。真下から見上げると木の物質よりも、光のコントラストの方が目に入ってくる。繊細に交差した様々な種類の陰影には実際以上の空間の奥行が感じられた。





ある一定以上の情報量が入ると、人は見ることよりも感じることを優先させるのかもしれない。視覚を通して把握することと体感することは明らかに違う行為だが、その境界をさまようことが、ものを深く観察することに繋がると思う。





太い幹を手で触ると樹皮の荒々しい質感が伝わってくる。このような身体を寄り添う行為というものは、物事を叙情性に流されず、物質として正確に把握する最も有効な手段のような気がする。


触覚的にも味わうことのできる彫刻は、時代がどう変わろうと貴重な表現分野だと思っている。美術館やギャラリーでは難しいが、鑑賞者には触って感じて欲しい。彫刻の素材は変化しなくとも、その時の気温や湿度、鑑賞者の体温やそれを伝える皮膚の状況によって感じることも変化していく。良い彫刻はそれら全てを受けとめる度量をもっているように思える。





山から降りてくる風を顔で受けたり、足裏から厚い砂利の感覚を感じながら歩くのは心地良い。色々と考えを巡らせながら杉の林道を抜けると、視界の陰りが晴れ、光を浴びたところに社殿が現れた。





この神社に来る時は、制作の合間が多い。気分転換を求めて来ても作品のことを考える。しかし、当然のことながら制作における問題点はここに来ても解決しないし、それをこの場所に求めてもいない。









椿大神社

〒519-0315 三重県鈴鹿市山本町1871






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