top of page

卒業式/制作を続けることについて


私が勤める大学の卒業式があった。

今年卒業していく学生と私との年齢差は30歳である。それは私と師匠である山本先生との年齢差と同じである。私は学生の時に先生と圧倒的な差を感じていたが、自分が逆の立場になってみると、そこまでの差を感じない。それは、先生があまりにも偉大過ぎたのと、私が幼いからだろう。


彼らが入学してきた際にコロナ禍が始まり、大学生活の前半はオンライン授業となった。その為、同級生と実際に会うこともできずに孤独に過ごした時間は長かったが、そんな時でも彼らは成長し続けたと感じている。


私は高校を卒業してから美術予備校での浪人の期間を含めると10年間学生をする機会があった。不器用な私にとっては、その期間にどのように人生を送るのかを考えることができた。私から見ると4年で卒業して社会に出る彼らの姿は駆け足に見えてしまう。しかし、それは私の修正すべき一般社会との感覚のずれかもしれない。


私はこれまで様々な学校で美術や彫刻に携わってきたが、現在勤める大学は教員養成学部であり、作家を養成する所ではない。だが、ごく稀に制作を通して人生と真摯に向き合う姿に出会うことがある。私とは異なる切口で現代に反応した表現や、徐々に才能が開花していくのを目撃できるのは幸せなことだ。

しかし、同時に切なさも感じる。何故なら、作品を作り続ける厳しさを知っているし、それが必ずしも世間で言うところの幸せと直結する訳ではないからだ。ただ、苦しいこと悲しいこと全てが作品として消化できるのは間違いない。


おそらく作品を作るという行為は、個人の心の奥底にある弱い部分が起点となり、それを確認せざるを得ない何かしらの事情があるから出てくるのだと思う。

なので、私が心配する意味もなく、彼らは必要に応じて制作を続けるし、そして適切に休む選択も出来ると信じている。









bottom of page